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よき教育者であろうとするパパの脳内 - あるアメリカ人の話

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前回に引き続き「Parenting」で検索して、Moments in amazing parentingという記事をみつけました。娘さんから重たい質問をぶつけられて、どう答えたものかとあれこれ悩むパパのお話です。

翻訳記事

アメイジング・ペアレンティング賞、受賞の瞬間?

2014年1月16日
leighton

子どもの質問は、いつでも受けて立つ自信がある。もちろん、すぐに答えられず「後で教えてあげる」と逃げることもあるが。それにしても、子どもというのは本当にびっくりするような質問を投げてくることがある。一瞬、頭が別の世界に飛んで行ってしまうような、思いもよらない質問だ。

ある、少し寒いが過ごしやすい夕方。ぼくは7歳の娘を空手教室に連れていくところだった。道場はうちのすぐ近くだったから、あまり会話もしないまま、すぐに駐車場に到着。車を停めようとしていると、透き通ったきれいな声で、娘がこう言った。

「パパ、あたしメキシコ人ってきらい」

パニック。
なんでいきなりそんなこと言いだすんだよ?学校で聞いたのか?ニュースで何か見たのか?友達から聞いたのか?かあちゃんもおれも、バイアスとか偏見とか、子どもの頭に入り込まないようにがんばってるっていうのに。どこだ、どこだ。どこで聞いた?おれはそんなこと言った覚えはない。「どうして?メキシコ人の友達もいるじゃないか」って言う?
・・・違う!ダメだ!そんなこと考えちゃダメだ!なんかまずいことをいう前置きみたいじゃないか。ちょっとレイシスト的ななにか。
おれが言うことの正当化は問題じゃない。なんで娘があんなこと言ったのかを探るんだ。おれのことじゃない。落ち着け。落ち着け。
シリアス・ペアレンティングの時間だ。おまえならできる。結論を急ぐな。うまく質問しろ。解決できたら、シリアス・ペアレンティング賞だ。いや、アメイジング・ペアレンティング賞だって狙える。

自分を取り戻してエンジンを切り、深呼吸をひとつ。ぼくは少し突っ込んで聞いてみることにした。娘がなぜあんなことを言ったのかが判明すれば、この状況をクリアする道が見えるはずだ。答えをいくつか頭に浮かべながら、気持ちを落ち着かせた。

「あのさ・・・」
話そうとするも、声が弱々しい。しっかりしろ、シリアス・ペアレンティングだ。

「なんでメキシコ人が嫌いなの?」
「メキシコ人は9・11のときにひこうきでビルにつっこんだから」
マジか。その答えは想定外だ。

「え、なに?」
時間を稼げ。その間にいい考えが浮かぶかもしれない。

「だから、9・11のときにひこうきでビルにつっこんだから」
「なるほど。でもね、それは間違いだよ。メキシコ人は9月11日に飛行機を飛ばしてビルに突っ込んでない」
「ちがうの?」
「違うよ。どこでそんなこと聞いたの?」
「がっこう」
「学校の誰から?」
先生って言わないでくれ。先生って言わないでくれ。先生って言わないでくれ。
教師がそういうことを言うとは考えたこともなかったが、その時はもっと最悪のケースも考えていた。

「ともだち」
あぁ助かった。

「ああ、その友達が間違ってたんだね。メキシコ人も、メキシコっていう国も、9・11とは関係ないんだよ」
「え、じゃあ、だれがひこうきでビルにつっこんだの?」
「テロリストがやったんだ。悪いやつらだね」
「どういう人たちなの?」
「どういう人たちって?」
わざととぼけて聞く。

「メキシコ人じゃないんなら、なに人なの、ってこと」
最悪だ。どうやって答える?娘の質問を無視したくはないが、少人数のやったことでその民族に属する人すべてにレッテルを貼るようにはなってほしくない。
・・・おまえならできる。だいじょうぶだ。
いや、ダメだ。
いや、だいじょうぶだ。
いや、・・・っていうか、脳内で自分に話しかけるのやめろよ。おかしいだろ。

「9・11にビルに突っ込んだのは、中東の人だよ。アラブ人って呼んでもいい。でもね。いいかい、これから言うことは、とってもとっても大事なことだからね。中東から誰かが来て、ああいうひどいことをした。でも、だからといって、中東の人が全員悪い人だっていうことじゃないんだよ。中東には、いい人も悪い人もいる。アメリカにも、いい人もいれば、悪い人もいる。ある人種とか民族の人が何かをしたからといって、その人種や民族の他の人までが同じことをするとは言えないんだ。少しの人のすることを見ただけで、全体を判断しちゃいけないっていうことだね」

「パパ、わけわかんない」

娘がもっと小さくて、こんな難しい質問をぶつけてこない頃に戻りたい、と本気で思った。たかいたかいをすると、ブロンドの髪の毛がふわふわ舞う、あの日々に帰りたい…。
と、ここでひらめいた。シリアス・モードで娘に向き直る。

「学校の友達が、ブロンドの髪の女の子にウソを言われたとするでしょ?その友達はとても傷ついたから、ブロンドの髪の女の子は全員ウソつきだっていうことにした。ブロンドの子は誰でもウソを言うって思うことにしたの。
つまり、おまえがホントのことを言ってるのに、その子は全部ウソだって思うってこと。そんなふうに思われたらイヤだよね?その子は、本当にウソなのか、自分で確かめないといけないんだ。おまえがブロンドの髪だってだけで、「ウソを言ってるんじゃないの?」なんて考えちゃいけない。
さっき話したことも同じこと。その人がどんな人なのかを決めるのは、その人のこととか、その人がどんなことをするのか、ちゃんと見てからだ。同じ民族の誰かがやったことで、その人のことを決めつけちゃいけない。勝手に決めるんじゃなくて、ちゃんとその人を見てあげることが大切だね」

やった。できた。ぼくは大満足でシートに身をあずけた。遠い将来、ノーベル平和賞を受けとる娘を思い浮かべる。
娘のスピーチはこうだ。
「私が受賞できたのは、父のおかげです。父は、他人のことを判断するためには、その人の行動を見る必要があること、人種を同じくする他人の行いでその人のことを決めつけてはならないことを教えてくれました・・・」

おまえ、やったじゃないか。
ああ、やったな、おれたち。
・・・おれたち?脳内で自分に話しかけるなって言ったくせに、おれたち?
いいじゃないか。さあ、アメイジング・ペアレンティング賞を受け取ろう。今日のおれたちにふさわしい賞だ。

ハッと空想から覚めた。娘が思慮深い表情をしている。
ぼくが与えた素晴らしい英知に、感謝の言葉を述べるつもりだ。ぼくは、愛情あふれるその言葉を待った。

「パパ、あたしの髪の毛、もうブロンドじゃないんだけど・・・」

・・・アメイジング・ペアレンティング賞はおあずけですね。
うるさい!

原文:Moments in amazing parenting

思ったこと

最初読んだときは「メキシコ人ってきらい」のインパクトの強さがピンとこなかったけど、それは自分の想像力が足りていなかったからですね。日本にだって他の民族とか人種の人はいて、偏見に基づく差別は厳然として存在するわけで。
偏見を持つことや、ものごとの一部をとらえて一般化してしまう思考のダメさは、子どもにちゃんと教えたいな、と思いました。それはもちろん、人種とか民族に関すること以外でも。



この記事で使用した写真
Everything is amazing(CC BY-NC 2.0)

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