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あなたが怒っても、親の威厳は保てません

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たまたま読んだスズコさんのブログ記事がとてもおもしろかったので、育児関係の記事を翻訳してみようかな、と「parenting」をキーワードにして検索してみました。ヒットしたのはAnger does not demonstrate parenting authorityという記事。

翻訳記事

あなたが怒っても、親の威厳は保てません

2014年1月14日
David Johnson

多くの人が、怒れば親である自分の権威を示せると思っています。私の友達や家族の中にも「父親は怖かった。敬意を払わなければならなかった」と明かす者が何人もいました。この「権威としての怒り」という文化の中で育ち、しかも、それによって苦しんだことはないと思っている人は大勢います。ですが、子どもに対するこのような態度は、より適応的で、より機能的な意味での「敬意」が、歪んだ形で表れたものなのです。
「子どもは目の届くところにいて何も言わぬがよい」という考えを持つ親の元で育てられた人には、心から同情します。このような人を見下す冷たい態度は、強い力を持っています。もし愛情を持った優しい大人が積極的にかばってやらなければ、子どもに生涯にわたる影響を与えることもあります。

怒りが牙をむくとき

怒りの最悪の部分を経験したのは、親が自分になにかを言い聞かせようとしているときだった、という人もいるでしょう。親の側からすれば敬意を払うよう要求しただけだとしても、子どもが経験するのは、「言うことを聞かないともっと怒られる」という恐怖だけでなく、脅迫されていることに対する恐れです。このような怒りに常にさらされると、子どもは、親に従わなければ必ず怒りのスイッチが入る、と学習します。そして、あまりに頻繁に怒られるので、自分が自分であることが親には受け入れられないのだ、と考えるようになってしまいます。

親の言うことをちゃんと聞いてくれれば、もっと愛情を注げるのに、などという人がいるかもしれません。ですが、子どものやるべきことは、自分のアイデンティティを見つけ、自分で決断をし、自分自身の選択の幅を持つことです。それは、尊敬に値する大人や仲間と接する中で学び取っていくものです。心ない態度で接せられると、その学びが揺らぎます。揺らぐ程度であればまだよいほうです。最悪の場合、子どもは、自分に対しても大人に対しても、敬意を持つことをやめてしまいます。

その結果として子どもが親を恐れるようになると、永久に消えない壁が築かれます。聞き分けがよくなったとしても、それは、言うことを聞かなかったときに親に怒られるのが怖いからです。この状態がそのまま続けば、子どもは、「親は、個人としての自分を受け入れてくれない。親は、私がただ親の言うことを聞く存在であればいいと思っている」と考えるようになり、最終的には、親以外の誰かになろうと考えるに至ります。親以外であれば誰でもよいと。つまり、敢えて親に反抗する子どもを育てているようなものです。子どもに別の行動基準が示されない場合、このような反抗は、思春期前期において怒りや混乱の表出として行動に表れます。

脅迫というものは、愛情のある関係性や尊敬の念とは全く相容れないものです。愛情や思いやりとは程遠い扱いを受けると、幼少期における親との関係性が崩れ、子どもは欠落のあるまま、つまり自分の感情に対処するために必要なスキルを欠いたまま、成人になります。人生の困難に立ち向かうスキルなど、望むべくもありません。


なぜ怒るのか

私たちがこれから直面するいかなるものと比べても、子育ては最も困難なものです。私たちが自分の子を愛していることが、その主な理由です。子どもに関するとき、私たちの感情の針は常にピークを指します。他のいかなる場面よりも、子育てにおいて、私たちの感情は揺さぶられます。その感情をコントロールし、理解することは重要ですが、実に難しいことでもあります。
子どもがどのように育つだろうか、と怖くなることはよくあります。礼儀正しく、思いやりのある子になるだろうか?自分で生計を立てられるようになるだろうか?愛情と思いやりを持って次の世代を育てられるだろうか?
私たちの頭を満たすこうした不安が、子育てに対する恐怖を生み、子育てにおける判断を誤らせることになるのです。

問題行動をつぶす、という問題行動

学校に入る前に行儀よく振る舞えるようにならないと、子どもの将来が危ない、と心配する人がいるかもしれません。自分の嫌な部分を自分の子どもに見つけ、自分と同じ苦しみを味わうのでは、と心配する人もいるでしょう。そして、子どもが将来苦しまないようにと、幼少期に問題行動をつぶす。そのことに度を超えて力が入っているかもしれません。

これは一見、親のすべきこととして立派なことと映るかもしれません。ですが、何を教えるのか、と同じくらい重要なのが、「どのように教えるのか」です。子どもが育つときに必要なのは、優しい、しっかりとした、心強い養育者です。懲罰的なやり方は、子どもの自尊心や、親やその他の大人との関係性に直接影響を与えます。

途方に暮れたときの対処法

子育てにおける自分の役割にトラブルを抱えているのであれば、その理由を理解することが必要です。もしかしたら、子どもの年齢特有の行動に対して、単純に余裕がなくなっているだけかもしれません。ストレスに満ちた長い一日のおわりに、安らかで静かな時間が欲しいだけなのかもしれません。もしそうであれば、子どもの要求に対応しながら、同時に自分のストレスを発散する方法を見つける必要があります。子どもにテレビを見させ、その間に運動をして発散するのも、ひとつの方法です。

親の評価を上げるのは子どもではありません

子どもの振る舞いが自分の評価にはね返ってくると思いますか?子どもの成果は自分の成果ですか?子どもたちがこの世に生まれたのは、私たちの期待に応えるためでもなければ、私たちの評価を上げるためでもありません。親がそのような目的で行動しても、期待したものとは逆の結果が待っていることでしょう。私たちの心に潜むものがなんであれ、そのような欲求を明るみに出し、適切な対処法を学ぶ必要があります。同時に、子どものケアも忘れてはなりません。

非現実的な期待

子どもに常に行儀よく振る舞うことを期待するのは理にかないません。幼少期の子どもは、冒険をする必要があります。自分の行動がどのような結果を導くのか、学ばなければなりません。ある行動の帰結は、外部環境との相互作用を通じて自然に発生するものです。もし親が子どもの学びを邪魔し、親の言うことを聞くよう無理強いばかりしていると、子どもは周囲から学ぶ機会を失います。子どもには失敗させることが必要です。親は介入せず、子どもに失敗から学ばせなければなりません。親の役目は、ケガや重大な損害などから子どもを守ることです。


子どもに規律を守らせるには

子どもには、その子に合った許容範囲を設定しましょう。その範囲を越えたら、そう伝えましょう。ただし、声のトーンはあくまでも優しく。
ここで重要なのは、子どもの行動は、子どもの人格とは別の物であるということです。しっかり認識しておきましょう。
前述のとおり、声のトーンは、子どもの人格に直接影響を与えます。子どもが一線を越えたときは、「自分がしたことは間違っていた、でも自分は愛されている」と分かるように伝えましょう。自分の子ども時代に模範になるような大人がいなければ、これを実践するのは簡単ではありません。練習も必要になるでしょう。
子どもと遊ぶとき、何かを教えるとき、子どもの行動を直すときには、何かを受け入れる寛大な気持ち、何かに熱中している楽しい気分で話せるように練習しましょう。
緊急性を持たせたり権威を示したりするためには、怒ってみせるのが重要だ、と思っている人にとって、このような肯定的な声のトーンを使うのは、はじめは変に見えるかもしれません。否定的な場面では特に。
ですが、大切なのは、子どもに愛情や思いやりを伝えるのは声のトーンや選択する言葉だということです。メッセージのその他の部分に実質的な意味はありません。続けていくうちに、肯定的なトーンで話した方が、伝えたいメッセージが理解されやすく、言うことも聞いてくれるということに気づくでしょう。

家計を維持することよりも、子どもを育てることの方が優先順位は高くなければなりません。健全な子どもが経験するあれこれによって、面倒なことが絶え間なく親に振りかかります。ときにはひどく疲れることもあるでしょう。ですが、私たちは辛抱強く振る舞う義務を負っています。子どもは、自分からこの世界に連れてきてくれと頼んだのではありません。子どもをもうける選択をしたのは私たちです。私たちには、子どもたちに与えられるものをすべて与える責任があるのです。

原文:Anger does not demonstrate parenting authority

雑記

正論。でも、こういう話を読んで怒りが抑えられるんだったら苦労はしない、とも思います。いや、読んで納得してくれる人がいれば、それはそれでとても嬉しいですが。がんばって翻訳したわけだし。それに、知識としては知っておいていいのかも。

私自身について。基本的に怒るタイプではないと思っていました。実際、声を荒げることもないし。でも、実は怒りっぽい方だと、ずいぶん前に考えを改めました。怒りが行動に表われていることにハッと気づくことがあります(どういう表出のしかたをするのかは情けないので書きませんが)。

これはなんとかしたいな、と思って買ってきた『怒らないこと』という本は、読んでよかったと思っています。仏教の教えを背景に、怒りについて、怒りの対処方法について書かれています。怒りをおさめる方法(というより、怒りを消し去る方法)として著者が説くのは、怒りが芽生えたときに「自分が怒っている」ということに気付け、というもの。客観視できれば、それで怒りが消えるから。
実際にやってみると、けっこうできるものです。まあ、前述のとおり、それが間に合わずに怒りが行動に表れることもあるわけですが。

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

怒らないこと―役立つ初期仏教法話〈1〉 (サンガ新書)

ところでスズコさんの記事に出てきた本。すごくおもしろそうだから買ってみようと思ったのに、Amazon在庫切れとかね...。

子どもが聴いてくれる話し方と子どもが話してくれる聴き方 大全

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この記事で使った写真:Anger management issues(CC BY-NC 2.0)

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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